P--925 P--926 P--927 #1執持鈔 執持鈔 #21 (1) 一 本願寺聖人仰云 来迎は諸行往生にあり 自力の行者 なるかゆへに 臨終まつこと 来迎たのむことは 諸行往生のひと にいふへし 真実信心の行人は 摂取不捨のゆへに 正定聚に住す 正定聚に 住するかゆへに かなら す 滅度にいたる かるかゆへに 臨終まつことなし 来迎たのむことなし これすなはち 第十八の願 の こゝろなり 臨終をまち 来迎をたのむことは 諸行往生を ちかひまします 第十九の願の こゝ ろなり #22 (2) 一 またのたまはく  是非しらす 邪正もわかぬ この身にて 小慈小悲もなけれとも 名利に人師をこのむなり 往生浄土の ためには たゝ信心をさきとす そのほかをは かへりみさるなり 往生ほとの一大事 凡夫の はから ふへき ことにあらす ひとすちに 如来にまかせ たてまつるへし すへて 凡夫にかきらす 補処の 弥勒菩薩を はしめとして 仏智の不思議を はからふへきにあらす まして 凡夫の浅智をや かへす P--928 〜 如来の御ちかひに まかせたてまつるへきなり これを 他力に帰したる 信心発得の 行者とい ふなり されは われとして 浄土へまひるへしとも また地獄へゆくへしとも さたむへからす 故聖 人{黒谷源空聖人の御ことはなり}の おほせに 源空かあらんところへ ゆかんと おもはるへしと たしかに うけたま はりしうへは たとひ 地獄なりとも 故聖人の わたらせたまふ ところへ まひるへしと おもふな り このたひ もし善知識に あひたてまつらすは われら凡夫 かならす 地獄におつへし しかるに いま 聖人の御化導に あつかりて 弥陀の本願をきゝ 摂取不捨の ことはりを むねにおさめ 生死 のはなれかたきをはなれ 浄土のむまれかたきを 一定と期すること さらに わたくしの ちからにあ らす たとひ 弥陀の 仏智に帰して 念仏するか 地獄の業たるを いつはりて 往生浄土の業因そと  聖人さつけたまふに すかされまひらせて われ地獄におつと いふとも さらに くやしむ おもひあ るへからす そのゆへは 明師にあひたてまつらて やみなましかは 決定悪道へ ゆくへかりつる 身 なるかゆへにとなり しかるに 善知識に すかされたてまつりて 悪道へゆかは ひとりゆくへからす  師とともにおつへし されは たゝ地獄なりと いふとも 故聖人の わたらせ たまふところへ まひ らんと おもひかためたれは 善悪の生所 わたくしの さたむる ところに あらすと いふなりと  これ自力をすてゝ 他力に帰する すかたなり #23 (3) 一 またのたまはく  P--929 光明寺の和尚{善導の御こと}の 大無量寿経の 第十八の 念仏往生の 願のこゝろを 釈したまふに 善悪凡夫 得生者 莫不皆乗阿弥陀仏 大願業力 為増上縁と いへり このこゝろは 善人なれはとて おのれか  なすところの 善をもて かの阿弥陀仏の 報土へむまるゝこと かなふへからすとなり 悪人またいふ にやおよふ をのれか 悪業のちから 三悪四趣の 生をひくよりほか あに報土の生因たらんや しか れは 善業も 要にたゝす 悪業も さまたけとならす 善人の往生するも 弥陀如来の 別願超世の  大慈大悲に あらすは かなひかたし 悪人の往生 またかけても おもひよるへき 報仏報土に あら されとも 仏智の 不可思議なる 奇特を あらはさんか ためなれは 五劫かあひた これを思惟し  永劫かあひた これを行して かゝるあさましきものか 六趣四生よりほかは すみかもなく うかむへ き 期なきかために とりわき むねと おこされたれは 悪業に卑下すへからすと すゝめたまふ む ねなり されは おのれを わすれて あをきて 仏智に帰する まことなくは おのれか もつところ の 悪業 なんそ 浄土の生因たらん すみやかに かの十悪五逆 四重謗法の 悪因にひかれて 三途 八難にこそ しつむへけれ なにの要にかたゝん しかれは 善も 極楽にむまるゝ たねにならされは  往生のためには その要なし 悪も またさきのことし しかれは たゝ機生得の 善悪なり かの土の のそみ 他力に帰せすは おもひたへたり これによりて 善悪凡夫の むまるゝは 大願業力そと 釈 したまふなり 増上縁と せさるはなしといふは 弥陀のちかひの すくれたまへるに まされるもの  P--930 なしとなり #24 (4) 一 またのたまはく  光明名号の 因縁といふことあり 弥陀如来 四十八願のなかに 第十二の願は わかひかり きはなか らんと ちかひたまへり これすなはち 念仏の衆生を 摂取のためなり かの願 すてに成就して あ まねく 無礙のひかりをもて 十方微塵世界を てらしたまひて 衆生の 煩悩悪業を 長時に てらし まします されは このひかりの縁に あふ衆生 やうやく 無明の昏闇 うすくなりて 宿善のたね  きさすとき まさしく 報土にむまるへき 第十八の 念仏往生の 願因の名号を きくなり しかれは  名号執持すること さらに自力にあらす ひとへに 光明に もよほさるゝに よりてなり これにより て 光明の縁に きさされて 名号の因を うといふなり かるかゆへに 宗師{善導大師の御ことなり} 以光明名号  摂化十方 但使信心求念と のたまへり 但使信心求念といふは 光明と 名号と 父母のことくにて  子をそたて はくゝむへしと いへとも 子となりて いてくへき たねなきには ちゝはゝと なつく へき ものなし 子のあるとき それかために ちゝといひ はゝといふ号あり それかことくに 光明 を はゝにたとへ 名号を ちゝにたとへて 光明のはゝ 名号のちゝと いふことも 報土に まさし く むまるへき 信心のたねなくは あるへからす しかれは 信心を おこして 往生を 求願すると き 名号も となへられ 光明も これを摂取するなり されは 名号につきて 信心をおこす 行者な P--931 くは 弥陀如来 摂取不捨のちかひ 成すへからす 弥陀如来の 摂取不捨の 御ちかひなくは また  行者の往生浄土の ねかひ なにゝよりてか 成せん されは 本願や名号 名号や本願 本願や行者  行者や本願といふ このいはれなり 本願寺の聖人の御釈 教行信証にのたまはく 徳号の慈父 ましま さすは 能生の因 かけなん 光明の悲母 ましまさすは 所生の縁 そむきなん 光明名号の父母 こ れすなはち 外縁とす 真実信の業識 これすなはち 内因とす 内外因縁 和合して 報土の真身を  得証すと みえたり これをたとふるに 日輪 須弥の半に めくりて 他州をてらすとき このさかひ  闇冥たり 他州より この南州に ちかつくとき 夜すてにあくるかことし しかれは 日輪の いつる によりて 夜はあくる ものなり 世のひと つねにおもへらく 夜のあけて 日輪いつと いまいふと ころは しからさるなり 弥陀仏日の 照触によりて 無明長夜のやみ すてにはれて 安養往生の 業 因たる 名号の宝珠をは うるなりとしるへし #25 (5) 一 わたくしにいはく 根機つたなしとて 卑下すへからす 仏に 下根を すくふ 大悲あり 行業おろそかなりとて うたか ふへからす 経に 乃至一念の文あり 仏語に虚妄なし 本願あにあやまりあらんや 名号を 正定業と  なつくることは 仏の不思議力を たもては 往生の業 まさしく さたまるゆへなり もし 弥陀の名 願力を 称念すとも 往生なを不定ならは 正定業とは なつくへからす われすてに 本願の名号を持 P--932 念す 往生の業 すてに成弁することを よろこふへし かるかゆへに 臨終に ふたゝひ 名号を と なへすとも 往生をとくへきこと 勿論なり 一切衆生の ありさま 過去の業因 まち〜なり また 死の縁 無量なり やまひにおかされて 死するものあり つるきにあたりて 死するものあり みつに おほれて 死するものあり 火にやけて 死するものあり 乃至寝死するものあり 酒狂して 死するた くひあり これみな 先世の業因なり さらに のかるへきにあらす かくのこときの 死期にいたりて  一旦の妄心を おこさんほか いかてか 凡夫のならひ 名号称念の 正念もおこり 往生浄土の 願心 もあらんや 平生のとき 期するところの 約束 もしたかはゝ 往生ののそみ むなしかるへし しか れは 平生の一念によりて 往生の得否は さたまれるものなり 平生のとき 不定のおもひに住せは  かなふへからす 平生のとき 善知識の ことはのしたに 帰命の一念を 発得せは そのときをもて  娑婆のをはり 臨終と おもふへし そも〜 南無は 帰命 帰命のこゝろは 往生のためなれは ま たこれ発願なり このこゝろ あまねく 万行万善をして 浄土の業因となせは また廻向の義あり こ の能帰の心 所帰の仏智に 相応するとき かの仏の 因位の万行 果地の万徳 ことことくに 名号の なかに 摂在して 十方衆生の 往生の行体となれは 阿弥陀仏即是其行と 釈したまへり また 殺生 罪を つくるとき 地獄の定業を むくふも 臨終に かさねて つくらされとも 平生の業に ひかれ て 地獄に かならす おつへし 念仏も またかくのことし 本願を信し 名号を となふれは その P--933 時分に あたりて かならす 往生は さたまるなりと しるへし #1執持鈔     [本云]      [嘉暦元歳{丙寅}九月五日拭老眼染禿筆 是偏為利益衆生也]                                            [釈宗昭五十七]      [先年如此予染筆与飛騨願智坊訖 而今年暦応三歳{庚辰}十月十五日随身此書上洛中一日逗留十七日下国 仍於灯下      馳老筆留之為利益也]                                            [宗昭七十一] P--934